悲しく辛い思いをしたとき先にあるもの
生活していると、悲しく辛い出来事もたまに起こります。
そういう、出来事に見舞われている最中は絶望的で、
(もうだめだ。)と思うことも少なくはないかと思うのですが、
その先にこんなものがあったなあ、と思ったことがありました。
ある時突然、心身共に健全と言えないような状態になったり、
失敗したり、怖いことがあったり、
具体的なことはあげられないのですが
自分が苦しい思いをして心がすさむことがあります。
精神的にも落ち込み、
ネガティブな思いに包まれて、
どうして、私だけ・・・と思ったり、
周りの人はすごく楽しそうだけど私は…、
と、悲しくなったりすることもあると思います。
周りの人が楽しそうに見えて、
それに合わせられないほどの気分になったり、
ひとりぼっちにさせてほしいと思ったり、
今ここで私が話したら、みんなの気分の害するよね…
と、思ったりして、人とは違うみたいだと思った時、
孤独な気分になんかにもなります。
周りの人も、そういう変化には気づくかと思うのですが、
自分が普通だから、
「気にすんなよ」とか
「元気出して」とか、
「考え過ぎだよ」とか、
「がんばれよ!」なんて声をかけて
励ましてくれたりもします。
ちょっと落ち込んでいても心に余裕があれば、
「うん。ありがとう。」
と、そういう心遣いにも気づけますが、
かなり落ち込んでいる場合は、
そういうことにも受け入れることができず、
心がなぜかものすごく苦しくなったりもします。
私が本当に元気で健康な時、
そういう弱った人を見ると、
弱い、ダメ、気合いが足りない、根性がない、あまい、理解できない
といいがちになるのですが、
自分にとって絶望的な状態のときに同じことを言われたら、
深く傷つくことができることだなあ、と思いました。
自分がそういうときに、そういうことを言ってしまったのだから、
私も同じことを言われても、そういう人に対して文句は言えませんし、
そういったことを言う人が、悪いとも思いません。
悲しく辛い思いをしたとき、
世の中には、普通の状態、健康で健全な人だけ存在しているとは限らない。
ということに、気づくことができます。
人にやさしいというのは、たんに都合がいいということではないので、
やさしいという表現はむずかしいですが、
悲しんでいる人の気持ちに共感できたり、理解できたりできる、
そういう人にとって、心がほっとできる存在になれたり、
心の支えになれるような存在、逃げ場になれたり、
そういうことができる人になれるとおもうので、
悲しくて辛くて絶望的になったことが起こってしまっても、
諦めてしまわないでください。
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