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2011年6月23日 (木)

自分を停滞させるつまらないについて

私は何が「楽しい」ということなのかというのが、イマイチわかりません。

楽しい!と言っていることもありますが、それが本当に身近な人が言っている「楽しい」と同じなのか…というのはわからず。むしろ、人が「楽しい」と言っていることが、これが…楽しいっていうことなの?とわからない場合も、多く…。

「楽しい」ってズレがあるものなんだなと、認識しています。

私は楽しいの違いがわからないので、たいていのことを「楽しい」ということにしています。よって、私が起きている間に、起ったことはなんでも楽しいです。

Twitterでつぶやくことも楽しいし、さらにお話ししてくれたことは、さらに楽しいです。
だいたい何をするにも楽しいことになっているため、一日楽しく過ごすことができ、自分では楽しいですが、人から見るととても不憫な人なのかもしれないのだろうか?と、思うことはあるのですが、人が私を気の毒がっているというのを、教えてもらえないので、私にはそういうことはわかりません。

昔は、なにもかもつまらない。世界中つまらない。と思っていた時期がありました。
その理由は、私が何が楽しいということなのか?というのが、わからなかったため、自分に起ったことはなんでも「つまらない」ということになっていたのかと・・・思います。

楽しさって何なのよ!なにを楽しさというのか教えて!と、人が楽しいと言っていることについて教えてもらうわけですが、なにもかもつまらないと感じる仕様なので、人が楽しいと言っていることも、つまらないじゃん…と、思いました。ああ、くだらね。と。

この時、私自身に、楽しいかつまらないかを判断する基準が自分の中であれば、楽しいかつまらないかを判断することができましたが、それもなかったので、毎日毎日、つまらなかったです。

私はどうもアホらしい…
というのに気づき、つまらないのがいいのか、楽しいのがイイのかよく考えてみたら、

つまらないのってつまらないよね。

という結論に達しました。
と言っても、なんでもつまらないと思う仕様なので、この結論に達するわけですが…。
その時の自分は、それにさえも気づかなかったようですが、まあ良かったんじゃないかなと思うわけです。


どうやら自分の中では難しい問題だったようで、それに達するまで2年くらい考えてました。どうも私は、頭があまりよくないらしく、そんな簡単な結論に達するまでに、2年も費やしたので、バカすぎて自分がかわいすぎるなあと思いました。ちょっと後悔しました…。

先日、睡眠についてのテレビ番組を見ていて、そこで幸せの感度みたいな話をしてました。
どんな些細なことでも、幸せだと感じることで、幸せの感度がよくなり、幸せな気分になりやすくなるのですよ。みたいな感じだったかと思います。

少しアダルトな話しになりますが、女性の性についての特集などで、感度をよくすると…みたいな話しがあるかと思いますが、あれによく似た感じなのかなあと思いました。


そういうのをみていたら、どうやら、自分の感覚というのは、自分がそう感じたいように作っていくものなのだなあと思うわけです。つまり、私は、「つまらない」と感じる感覚を鍛え続けて、つまらないことについての感覚をすでに身につけているわけです。


そのようなことと同じで、些細なことでも楽しいと思っていると、けっこういろいろ楽しいと思うようです。

マインドコントロールのような…いわゆる、勘違い?

昔なら、そんなことが起こったら悲しい、凹む、ありえない。と思ったことでも、楽しい仕様になっていたら、こんなことが起こった!楽しい・・・さて、どうしようかな…。みたいになり、凹む隙がないので、ダメージが少なくてすみます。

些細なことで凹んで悲しくなりやすい私にとって、
なんでも楽しいととりあえず感じるというのは、
自分で考え抜いた自己防衛策だったのかもしれないです。

つまらないと思うと、そこで一度立ち止まってしまい、
それから先に進もうと思いにくくなってしまいます。

気がのらないけどやらなくてはいけないことを、
さらに自分の妄想であると思われる「つまらない」付加をつけると、
そのことが、めちゃくちゃだるくなります。

私がつまらない仕様のとき、楽しそうな人は非常に疎ましく腹立たしい存在でした。
おそらく、何かに嫉妬していたのではないのかなあ。と、今思うのですが、仕様が変わったため、本当のところは、わからなくなってしまいました。

さて。そんなわけで、
私は、おそらく自己防衛のために、何事も楽しいと思うように、自分を変えようと日々個練していたようです。最近、なんとなく、けっこう楽しいが強化されてきたと思ったので、次のステップをやってみようと思い、「違いがわかる」に挑戦しようと思っています。

楽しいかつまらないかの違い。

今は、実は、あまり違いがわかりません。
私以外の人は、そういう違いもわかっているようなので、すごいなあと思っています。

つまらないが自分にはいってくることで、また、何もかもつまらないと停滞してしまうのではないかと、不安になりますが、楽しいだけだと、ガンガン前に進もうとすることが多くなるので、時間や体力的の限界を知り始めた私には、なかなか厳しいものがあるというのも自覚しています。

うまいあんばいを、つかむのが、次の課題です。

あんばいや、さじかげんができるようになるというのは、
レベル上がってるよな・・・と思ってる私ですが、間違ってるでしょうか…


自分の感覚を自分に合ったように、作っていくって、なかなか大変ですね…。
どこかにひな型がないものかと・・・探すわけですが…
それって、ちょっと合わないと痛みを感じる部分もあり、合わないんだなと感じます。

+++

そういえば育児をしていると、母親の持っている感覚の判断が、子どもにも影響するのではないかなあ…と思うと、できる限りいろんな感覚を、教えてあげなくちゃなあと思い、大人の女の生きざまを見せ付けてやろうと思いました。

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