買わんでもどうにかなる。という考えの私が少しわかる
motomocomoのTumblrを見ていたら、ちょっと最近、いや、ずっと「それは何やねん!」と、つっこみたかったことに対して、ちょっとしたヒントになりそうな記事を見ることができました。
なんで買うことばっかり考えんねん。
これは、わたしが長年どこかひっかかっている疑問です。
あ、こういうことかも?と思ったのは、記事の中のこの部分で、それに関しては記事によりわかりやすく書かれているのですが、そもそも「共同体に帰属している状態」というようなものを、体験していなかったら(意識していなかったら)、わたしはこういうことに対して疑問を抱くことはなかったなあと思います。
共同体に帰属していれば、耐久消費財のほとんどは「買わずに済む」からである。
そんなことを訊かれても (内田樹の研究室)
国であるとか、町や村、近所、イエといった、大きさというか規模は様々であると思いますが、何かの共同体に帰属している場合、確かに買うということは少なくなるなあと思います。私の人生の半分(親の扶養内であった時期や、実家/三世代で暮らしていころ)は、それほどお金をもっていなくても、暮らすことができました。
どちらかといえば、田舎のほうの暮らしだったため、近所で生き残っている店舗(つぶれずに生き残る)は、スーパー、ホームセンター、書店など。商店街も、普通に機能していて、そこで買い物をすることも多かったのです。
コンビニ、ファーストフード店、チェーン店などが進出してくると、商店街や個人運営の店舗は、お店の人が年をとるにつれて店をたたんでしまうことがおおくなり、けばけばしい店舗が、田舎のどこか殺風景な風景にやたら目立つ感じで残っていったような気がします。
車をもっていることが必須条件ともいえる環境なので、買い物に行くには地元ではなく、街中まで車で行くことがほとんど。地元で買い物をしようとおもっても、ほしいものが売ってない。街に行けば売ってる。という理由で、街に行くまで買うのは我慢して、休日に街まで車で出かけて買い物をするのです。
近所にある商店は、昔は生き生きとした雰囲気に見えていたのに、今実家に帰ってみると、どす黒くてなんともいえないオーラを放っているような有様。
仕事が地元では見つからないので、街中に働きにいくであるとか、田舎を離れて都会に仕事をしに行く若者も多くなり、実家に帰ると、出会う人は学生かお年寄りが多くなりました。町中がなんだかどんよりしたように見えて、私が住んでいたこの土地は、こんなに静かで元気のなかったところだっただろうか。と、ふと思ってしまうのです。
そんなマルクス主義の最期の「彗星の尻尾」も1970年代の初めに宇宙の彼方に消え去り、それ以後覇権を握った資本主義は共同体の解体と消費主体の「孤立」を国策的に推進してきた。
自己決定・自己責任論も、「自分探し」も消費主体を家族や地域や同業集団から切り離し、「誰とも財産を共有できないので、要るものは全部自分の財布から出したお金で買うしかない(金がないときはサラ金から借りる)生活」をデフォルトにすることをめざしてきたのである。
その「趨勢」に日本人の全員が加担してきた。
その「結果」として若い世代の方々は「共生する能力」を深く損なわれたのである。
そんなことを訊かれても (内田樹の研究室)
共同体の解体と消費主体の「孤立」を国策的に推進してきた
「共生する能力」を深く損なわれた
ここにとても共感することが多くて、きっと複数の事情がからんで、こういう結果になったとは、ぼんやりと思いましたが、わたしの祖母や祖父(昭和初期生まれ)からは、自然や地域や人と「共生する能力」を学びました。
その時のエピソードを少し書いているのが、この記事:うちの庭の話
母・父からは、自分で何とかしないとだれもどうにもしてくれない。親と子であっても、それぞれの人生を別々に歩むから、親と子であっても、頼らないで生きていくようになれ。と教えられます。
私は、そんなことが可能なのか・・・と、正直思ったりして悩んだこともありますが、現状では母・父の考えに似た、スタイルで、家族はでんでバラバラになって暮らしています。親族であっても、共生していかないスタイルのようなそんな雰囲気は、もし、自分が最高に困ったときどうしようもないという不安を日常的に抱く原因になりました。
「共同体の再生」という大義名分には反対する人はいないだろう。けれども、それが「消費活動の冷え込み」を伴うという見通しについては、「それは困る」と言い出すだろう。
そんなことを訊かれても (内田樹の研究室)
3世代(ほんとは4世代)で暮らしていたころ、
「ひいばあちゃん・ばあちゃん・じいちゃん・母・父・子・子・子」
の8人家族で暮らしていた頃がありました。
この8人が1つのグループなので、住む家は1つで、
外に働きに行く人は2人。食事を用意する人1人。扶養者は4名。
現在では、ひいばあちゃんはなくなり、こんな感じで暮らしています。
1.ばあちゃん・じいちゃん
2.母・父
3.子
4.子
5.子
住む家は5つも必要になってしまいました。(ちょっと配分は違うけど)
5つの家がそれぞれ、食事を用意したりなんじゃかんじゃと生活のベースをそれぞれ行っているので、炊飯ジャーは5ついるわ、洗濯機も5ついるわで、こうやって見ると滑稽です。
1つにまとまってればいいじゃん。そっちが効率がいいじゃん。
とも思うのですが、そうもいかなかったみたいで。
もしかりに、1つにまとまっていたら、
子どもは扶養者ではなくなっていて、じいちゃんばあちゃんが年金暮らしになり、
共働きでやっていける環境にもなっているので、外に働きに行く人は5人。扶養者は2名。になるのかも。
何でこんなことになったのかなあと、ふと思ったのですが、家族というグループも、共生することをしない(一緒に住まなくても大丈夫であるとかの)選択肢がある世の中になったからなのかなあと、思い、納得したのでした。
おばあちゃんとかの感覚では、家族がバラバラに住むより、とりあえずみんな集まって住んでいるほうが安心だという考え方であったようで、今の生活は気楽であるけれどさみしいと、言っていて、私はそういうのを聞いて、こういうのって、いいことなのかわるいことなのか、よくわからないなあ。と、考えているのでした。
「いま、私たちはどうふるまっていいかわからない状況に入りつつあり、正解は誰も知らないし、誰も教えてくれない」ということを切実に受け止め、それゆえ自分の判断力と感覚を信じて生きる人間たちは生き残り、「どうすればいいんでしょう?」とぼんやり口を開けて、「正解」を教えてくれる人の到来を待ち望んでいる「受け身」の人たちは下層に吹き寄せられる。残酷なようだが、そういうことである。
そんなことを訊かれても (内田樹の研究室)
世代交代ともいえる時期が私の世代に、ちょうど迫っているころ。
自分たちだけが生き残るための方法を必死で考えてしまっていたけれど、おそらくここでもっと視野を広げなければ、自分を育ててくれた世代を「デインジャー」な状況にしてしまうのではないかと感じた。
すでに記事の中で、「もし、自分が最高に困ったときどうしようもないという不安を日常的に抱く」と無意識で書いていて、これが「デインジャー」な状態に対する不安を表しているようにも思った。すでにその危機的状況を肌で感じて過ごしていたのに、のんきなもんだといわれるのは、当然のことである。
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