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2010年1月12日 (火)

娘(5歳)の死の概念

P1030406今年に入って娘(5歳)がよく死について話すようになり、私はしばらく情緒不安定なのかと不安がっていましたが、よく話を聞いているとどうやら、死の概念のようなものを理解し始めたのではないのかと感じました。

娘が死について話し始めたのは、去年の暮れくらいからで、はじめは「おばーちゃんになったらしぬんだよ」ということからはじまります。普段の会話でいきなりそんなことをいうので、はじめ私は「おじーちゃんになっても死ぬし、子どもでも大人でも犬でもいつ死ぬかわからないよ。でもおばーちゃんになって死ぬのが多いかなあ・・・」なんてつぶやいていました。

今年に入って、お正月に私は、アニメ「獣の奏者エリン」にはまっていて、娘と一緒に見ていました。
主人公の少女エリンが母と村で二人で暮らしているのですが、エリンの母親は仕事で責任を問われ処刑され死んでしまうというところを見てから、娘の言っていることが少し変わり始めました。そういえば、年末に放送されていたクレヨンしんちゃんのスペシャルを見ても、かなしくて泣きそうと言っていたのを思い出します。

最近娘はしきりに、私(母)が死んだら娘が母になって子どもを産むだとか、そんな話をするようになり、私は心の中で(私はなんで、いつも死ぬ羽目になるのだろうか…、むしろ私は今年死ぬのだろうか・・・)と思ったりしていました。

「私(娘からすると母のこと)が死んだら・・・」という話はここ最近もっとも娘から聞かされている話で、私(母)が死んだらさみしいだとか、かなしいだとかというより、なぜか私(母)が死んだあとは、娘が母になるんだ。という展開なので、娘が精神的に弱っているのかと、わたしはやや不安になります。

でも、よく考えてみたら、動物の子育てのドキュメンタリー番組などを娘と見ているとき、娘に「なんで子どもを産むのか?」と聞かれたことがあり、その時に私は、おかーちゃんがしんだら、こどもがおかーちゃんになるからだよ。みんな死んで、だれもこどもを産まなかったら、だれもいなくなるじゃん。という話をしました。それを娘がかなり真剣に聞いていて、数日それについて話していた記憶があるのです。

死についての話のきっかけは、赤ちゃんが生まれることだったようで、身近で出産したお母さんが数名おり、よく赤ちゃんの話をしたり、娘が生まれたときの話をしたり、どこから赤ちゃんが生まれてくるかとか、そういう話をしていて(そろそろ性教育をちゃんと考えないと・・・)などと私は考えていたのですが、そこから、性教育に発展することはなく、娘は死について考えるようになっていったのかと思います。

最近娘が「私が死んだらどうしよう」と号泣したことがあり、わたしはかなり驚いたのと、精神的にやばくなったのかと、度肝を抜かれて数日考えていたり、話を娘からきいたりしていました。なんとなく私がわかったことはどうやら娘は、死について考えていたような感じ、また死の概念を理解し始めたのか・・・と、ふと思ったのです。

子どもが死の概念を理解するのはいったい何歳ごろなのだろうか?と、ネットで調べてみました。「子どもの死の概念」なんかで検索していろいろな記事を読んだりしました。

CiNii -  幼児の死の概念
子どもと「死」の概念: はなみずき保育園

そういえば、交通安全の講演会の帰りにも、事故にあって子どもが死ぬことについて話していたことがあります。そのときは、子どもが死んだらどれだけお母さんが悲しいかという話を聞かせました。それを聞いて娘は泣いたのですが、今年に入ってからは、その逆(母が死んだら子どもは・・・という思考)になっているのだということがわかります。

関連記事:2009年12月 4日
やっと「車に気をつけてね!」の意味を娘がわかってくれた

子どもが家庭内で、おじいちゃんであるとかおばあちゃんであるとか、近親者の死を経験することがとても少なくなってきているというのは、私もどこかそうなんだろうなあと思うところがあり、そういう中で子どもがどこで死について経験するかと言えば、ペットの死やテレビなどのメディアなんだそうです。死別経験はないにしろ、うちの娘くらいの年齢では死について理解していることが多く、親密な間柄の死の経験は、人格的発達に大きく関与しているようなことがわかりました。

娘はそのような体験をしたことがない、つまり、想像で死について考えていたのだと思いますが、自分の身近な存在、つまり彼女にとって一番親密な関係である私の死について考える(想像した)ことが、一番死について理解を深めたのかと思いました。

つまり、今まさに、娘は死について考え込んでいる時期であり、それは同時に「いのちの大切さ」を教える時期なのかということを、私は理解しました。

さて、こりゃあ、大仕事が舞い込んできましたよ。
あと、あまりにも私が死ぬことになる話を娘に聞かされたので、
てっきり私も(今年・・・死ぬのかなあ・・・私…)とやや不安になっていましたよ!!!

親になって初めて気づいたのですが、
案外母親って子どもの変化に気づいちゃうものなんですね。
特殊能力とかじゃなくて、なんか普通に。

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