フォト

おしらせ

  • おしらせ
    2011年12月でこのブログの更新は終了しました。
    2012年からは新しいブログで更新を続けているので、そちらのブログでお会いしましょう!
    Twitter

運営サイト

  • RouxRil
    2007年から運営しているサイトです。日々の暮らしの様子を綴っています。モノ・コト・キモチを記録しているレビューサイトでもあります。家族旅行の記録、京都の話題、私が好きなコスメの話題などを書いています。

このブログについて

« 京都市動物園のアミメキリンの赤ちゃん | トップページ | ブログクラブに登録してみました »

2009年8月19日 (水)

最近ちょっと疑問に思ったことを思い出した

Imgp7655

最近、家族で、ある映画をみて、
「おもしろいね!」
と、3人で話していました。

わたしはたまたま、ネット上でそのレビューを目にしたのですが、その作品に対して、意味がわからないということに対しての評価も低かったことに、わたしはおどろきました。そう言われてみれば、(よく考えれば、意味はわからないなあ)とは、共感した点もありましたが、意味がよくわかるからといって、それがいいことなのかな?とも、思いましたし、わからなかったとしても、だめなのかな?とも思いました。

意味がわからないことの評価がそれぞれで、わからないことは、ダメだという評価もあるというのを、見た瞬間でした。もちろん、わたしたち家族が抱いた感情と同じような、評価もあり、わたしはどこか安心したのですが。

わたしも、意味のわからないものはきらいで、気持ちが悪いのですが、日常生活にさしつかえないものは、それほど気になるようなことはありません。

こういう風に、ちょっとお酒でものみながら、楽しめるものにも、意味をもとめてしまい、ついネットでそれに対して、怒りにもにた感情をもって、あえて書いてしまう行為そのものは疲れないのかなあ・・・と、すこし疑問に思ったのでした。

まあ、どんな環境でどんな年齢の誰が書いたのかわからないものなので、そこを深く考えても、何か見つかるのか私にはわからなかったので、考えなかったんですけど。ちょっと、ひっかかってはいることだったんですね。

わからないのは、わからないものを生み出した人のせいにしてしまい、わかることができない受け手の側の問題にすることがあまりにすくなくなってしまっているように思います。
わからないことへの耐性:DESIGN IT! w/LOVE

この出来事については、この記事を読んで、思い出しました。
生み出した人の気持ちは、あまりちゃんとわかるという機会が少ないですが、自分なりの「わかった!」を、自分で考えるのも、楽しいことと、わたしは思います。
どちらかといえば、自分以外の方がみつけた「わかった!」が、どうだったのかな。という話しをするのが、面白そうかも。と、何か期待しているときも、ある気がします。

« 京都市動物園のアミメキリンの赤ちゃん | トップページ | ブログクラブに登録してみました »

【も】もかりの素朴な疑問」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。