最近ちょっとだけアートってこういうものなんじゃないのか?というのがわかった気がする
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長いタイトルなんですが。
アート(芸術)ってなんやねん!と、ぼんやりと昔から考えていましたが、友達や家族と「アートって何?」という話をしても、一向にその答えは見つかりませんでした。
絵画や音楽、文学作品が私にとっては身近なものですが、ほとんどが「意味がよくわからない」と終わるものでしかありませんでした。むしろ美術史は好きだけれど、絵画鑑賞は苦痛であるくらいの勢いです。
ただ、最近やっとアートっていうのは、すごい当たり前だけれど「表現活動」であり、わかりやすく解説しているものではないことがわかりました。「表現」というのは、だいたいこのような意味で使いますが、
心理的、感情的、精神的などの内面的なものを、外面的、感性的形象として客観化すること。また、その客観的形象としての、表情・身振り・言語・記号・造形物など。
Yahoo!辞書 - ひょう‐げん【表現】
アートが表現活動であるということにすれば、それはわかりにくい場合があり、それに触れた側は理解できない可能性があると、思いました。アートを念頭に、コミュニケーションをはかろうとすると、伝えられない伝わらない可能性があり、同じような感覚の持ち主や、ある何かの基準に達している感性が必要になってきたりすると思います。
コミュニケーションでわかりにくさは誤解を生んでしまう、だから明確に伝わりやすいものを。そんなことを考えてしまいますが、逆に考えれば、伝わりやすいことだけしかわからない人を増やしてしまう危険もはらんでいるのかなあと、少し思います。
アートはやはり、理解するためにすこし難しいと感じるのが私の正直な感想。ただ、理解しようとしない、わからないで終わってしまえば、自分もそこまでということかなと思います。子どもと向き合うときも同じかなあ。
「こうやねんけどな!なんて言ったらいいかわからへんねん!」みたいなことが表現できるのは、すごいことなんですよね。「なんて言ったらいいかわかる」だけでも、幸せです。それができるようになるには、どんな風に表現することができるか、自分が知っておかないと、表現したいとき表現することができなくて、辛いと思います。
娘が自分の気持ちをどう表現していいのかその言葉がわからず、泣いているのを見ると、心が痛みます。母親だから言いたいことはわかるけれど、もし大きくなって家族以外の人にそれを伝えたいとき、泣いてしまうだけになるようなことになるなら、大きくなった娘を泣かせたのは私の責任です。
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