愉しいこと
わたしは、やや大変な家庭環境で育ったっぽいので、ネガティブなことにとっても敏感です。苦労話や悲惨な出来事なんか。そういうもの。実際に、そういうことに対して、共感できてしまうという体験があるので、そういうことには引き寄せられる傾向もあります。ただ、それは、興味はすごくあるんだけれどそれをテレビでみちゃうとかけっこう自分にとってもリンクする部分があり消耗することで、なにを得るためにそれを見たのかわからない時もあります。でも、見ることによっていろいろ考えるから、見ないというのを選択しないわけでもないんですね。
何で見たのかわからないんだけれど、みんな普通に苦労したり悲しいことがあるんだからそういうことは実はわざわざ見たいことじゃないんだよ。だから、なんとかかんとか。みたいなものを見て、そうだなあと思うことがありました。
で、大事そうな「なんとかかんとか」と言う部分が私は忘れてしまって思い出せないんだけれど、その部分はわたしにとってそんなに重要ではなかったみたいです。
わたしはそういう苦労みたいな話し的ものとかは肯定派で、否定的にとらえることはないんだけれど、自分がそういう話をすることが、まず疲れてしまうようだし、それを話してしまうことで、また同じ苦労をしたような錯覚になり、やっぱり疲れちゃうので、そういう話をするときは、自分の中でそれが解決した後で。というのが、ちがう目線でそのことに関して考えられるのでいいなあと思いました。渦中にあると、そういう話をするのは、ほんとに疲れると思います。自分が混乱していることもあるので。
そういうことが話されるというのはたぶんたいていそれが終わってから、ということが多いというのも気づきました。事後報告的に、あとで教えられたりとか。相談してよーなんて言おうとするけれど、相談されてもなにか言えるほど、わたしは人生経験が豊かじゃないので、言えません…。
そういえば、不況らしく、不況だからこんな不況的ことが起こったなんて聞いたりするんですが、それを聞いて「じゃあそんなことになるんだったら、こうしたらいいんじゃないか!」なんて生産的な発想ができるわけではなく、(ああ。やっぱり不況なんや・・・。)と思うことしかできない私なので、私にとってその話がうまく生かされてないんだよなあ…と残念になります。そういう話を聞いて、じゃあこうだ。みたいな、とんち能力がほしいです。そういうのうまい人っていますよね~。
で、何が言いたいかと言うと、今日は雨で洗濯ができなくて困ったなあ。というだけなんです!!!
« お気に入りブログの話し 今日は2サイト | トップページ | とんちで思い出したけど、一休さん »
「■ブロガーソウル」カテゴリの記事
- 話す聞くと書く読むの時間の違いがあるのに気づいた(2011.10.24)
この記事へのコメントは終了しました。


コメント