今日はちょっとしんみりとしてみましょうか。
自分では目標設定を全くしていないと思っていますが、こうしたいというビジョンが自分の中にあります。
それを目標にして計画を無意識には立てていますが、その目標にむかってすすんでいくうちにいろいろなことを知ります。ひとつのことをするとき、周りの人はこんなこともしていて、こんなこともできるんや。すっごいなあ。じゃあわたしもやってみたい。と思います。そして初めに設定していた目標と言う名のビジョンのレベルはどんどん上がっていきそれをあまりに追い求めるあまり、自分の能力では叶えることができないほどの目標になりそれはもう、夢とか理想レベルになることがあります。
そうなってしまったことにも気付かず、自分は自分に対してとても厳しい評価をするので、自分はなんてだめなんだ。ぜんぜんできない。努力が足りないと非常に落胆するのです。
でも、こんな考え方もあるのです。
こんな考え方をできてこそ次のステップにすすむことができるのではないのかなと思いました。
自分はこんなことをした。こんなこともできた。
もし初めにお話しした考え方だと、自分がやったことに対しての評価ではなく、自分がやらなかったことへの評価しかありません。なのでこのままの状態だとどんどん衰弱してしまいますし、モチベーションが保てません。
わたしはずっとこういう自分がやらなかったことへの評価ばかりしていた癖がついているので、超ストイックです。人にはやりすぎと言われることがありましたがその意味が全く理解できませんでした。
ということで、人に対しての評価もかなり厳しい部分もありました。
そういう風な考え方になった原因のひとつのエピソードに子供時代こんなことがありました。
私はとても真面目な小学生だったので、通信簿の数字もまあ、素敵な感じでした。
でも、苦手な分野もあったのでその数字がほかの数字に対して、マイナス1だったことがあります。
他が全て同じ数字なので、その中にあるマイナス1ってすごく目に入りますよね。
私は自分がとてもよい成績を今学期出したと、自慢げに母親に見せましたが、母親には、
マイナスの科目を指摘され、塾に通うことになりました。
自分ではかなりやった!と思ったのですが、塾に通う羽目になり、かなり落胆しながら塾に行きましたが、まったくおもしろくもなく身につきません。むしろその科目が憎らしくなってきて、しまいには今までとれていたテストの点数の半分まで落下。ああ、腹立たしい。この科目のせいで、わたしの素晴らしい他の科目が評価されない。大嫌いだ。それが算数です。
母親には、算数ができないことばかりを指摘され、そのまま中学にあがりましたが、始めて勉強した英語がやはりいい成績がとれませんでした。それも合わせて指摘され、英語と数学が鬼のように嫌いでした。
もう親の敵だと思うほど毛嫌いしていて、そのせいで、その科目担当の先生が大嫌いでした。嫌いすぎて授業中にアイスクリームを食べるくらい自暴自棄でした。先生ごめんなさい。
センター試験ではテスト中居眠りをするくらいどうでもいいことになってました。よって、国公立大学にはいれませんでした。ちなみに数学は自己採点2点でした。その2点もカンです。さえてませんでした。
逆にのびる教科はのびまくって、おそろしいほど勉強していたので、気持ち悪いくらいでした。気持ち悪いですが、勤勉だったので先生には褒めてもらえました。なのでさらに興味をもってたくさん勉強しました。勉強することがとても楽しかったです。今でもそれが大好きなのです。しかし恐ろしいことに勉強したことを最近忘れました。ショックです。
さて、このようなわたしの上半期の人生を見て、自分自身何を心がけたらよかったのかと言うと、自分で自分をもっと評価できたらよいと思いました。人は私が思っているほど私のことを評価してくれません。大人になって子供を持てばもっと実感できると思いますが、すばらしいことを毎日継続していても、それは誰にも評価されないことがあります。いや、もう評価されることはないのではないかとさえ思います。
わたしは自分が人からしてもらったことを、自分も同じようにできると思います。
むしろ極端に言い換えれば、人からされたことしか自分はできないとさえ思っています。極論です。
いやなことをされたら知らず知らずのうちに人に同じことをしているのです。
逆に、うれしいことをされたら同じように人がよろこぶことをすることができるのです。
できることなら人を喜ばせることができれば素敵ではないかと思います。
いまは育児中と言うことで、子供に対しての接し方を考える時期ではありますが、まず自分を改変して、子供に接することができたほうがいいと思います。これは子供のためではありますが何より自分のためですね。
悲観的でマイナスな考え方を、子供に押し付ける、強要するのは、ある意味ひどいですね。
またしても極論を言えば、親と言う権力のパワハラを子供に与えていると思います。
かわいがる子供に無意識にこんなことをしていては、かわいがるなんていうのは口だけでどうしようもありません。かわいがるっていうのは、甘やかすというのではなく、子供をひとりの人としてのばしてあげる努力をおしまないことだと思います。
愛されるということは人を愛することです。
ひとつの動詞というのは不思議で、一方通行じゃなくて、相互に作用しているという素晴らしいものですね。
ものの見方も一方通行じゃなく、相互に作用していることが意識できるようになれば、とても素晴らしいものにみえてくるかもしれません。
人生が輝き、大切な人にもっと愛される方法―やる気を引き出すヴィーナスコーチング 著者:河村 晴美 |
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